こんばんは volerりえ子です
さてさて お洋服の話に戻ります。
就職で大阪にでてきました。大阪の北の方の豊中市というところの保育士として働き始めました。
もうお洋服買うのが趣味の私のようなものが 都会にでてきたらどうなりますか?
EST1やら阪急ファイブによくいっておりました、
といっても 新人がそんなにお給料もらえるはずもなく 我慢の日々でした笑
今でも覚えています。42年前の豊中市公務員の短大卒の初任給 額面111800円
家賃や光熱費を払ってどうやって暮らしてたんだろう。って思います。
がなんとか暮らしておりました。
でもそんな中でもボーナスというものがありました。
それですぐに洋服を買いに走りたいところなのですが
なんと 私が初ボーナスで買ったのは 『ミシン』
洋服は買って着たら終わりだけどミシンは長い時間楽しめる。そんなことを思ってミシンを買ったのでした。
やっぱそのころから作るの大好きだったのです。
蛇足になりますが私のファーストミシンはジャガーというところのミシンでした。今もあるのかな?
だんだんとその時代はお給料も上がって行きましたので お洋服にお金が回せるようにもなりまして
その頃はデザイナーズブランドというものにハマっておりました。
バーゲンの時期になると徳島から友達も参戦
若さってすごい 京都 大阪 神戸 を1日で回るなんてことを平気でやっておりました。
肩パットのはいったジャケットにタイトスカートなんていうファッションでした。
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この画像めっちゃこの時代を描いてるなーと思います。
私は左端 その次みたいなグループだったかなー
ワンレン ボディコン ダブル浅野 なんて方々が人気をはくしていた時代
トレンディードラマがお洋服やインテリアの見本のようでもありました。
でもみぎから2番目のスタイル こちらにもあこがれがありました。
それがもうすぐ恐ろしい笑ことになるのです。
28歳で結婚 パートナーも豊中市の公務員だったので 家賃を一人で払わなくて良くなり笑
お金に余裕ができて 洋服のグレードが少し上がり ラルフローレンなんかを着るようになりました。
娘を授かり そのあたりから 本格的なお洋服道楽の時代に突入していくのでした。 続く