80年前の今日

つぶやき

広島に原爆が投下され

9 日には長崎にも

私の祖母と祖父は戦争中 満州にいました

祖父が支那事変とノモンハン事件から帰ってきたあと

日本にいたらまたすぐ召集されると予測して

 祖母の姉を頼って満州にいったそうです。(でも祖父は満州にいても召集され、最後はシベリアで捕虜生活もして帰ってきました。)

祖父は私がまだ小学生の時に 60歳で脳溢血で他界しました。

それまでにも何度か入院したりしていたので 

かなり身体に負担をかけた体験をしてきていたんだろうと思います。

祖父はなんだかとても怖くて近寄りがたい存在でした。

別に怒られたとかそんな思い出はないのですが なんだかとても怖かった。

今思うと 戦争に3回も行って その上シベリア抑留まで となると よほど心に傷も抱えていたんだろうと思います。

祖母はおねえさんと二人で子供を3人も連れて 満州から引き上げてきました。

きっとまだ20歳代だった祖母 

よほど怖い思いをしたらしく 満州になんて2度といきたくない

といつも言っていました。

(祖母が書き残してくれた 短い文章がありますので またこちらに書き残しておこうと思っています)

そんな祖父母がいながらも 

私は戦争のことなんて考えない 考えたくない とついこの前まで暮らしていました。

ここ5年くらいで やっと覚醒したかも(笑)遅すぎ まあでもまだ生きてるうちでよかった

世界唯一の被爆国の日本

核爆弾というのがどんなものなのか よーく知っているはず

だけどだけど 日本人の中にも 私のように 

興味ないから 

と知らずに済ませる 

みたくないものは見ないという人もたくさんいます。

でもね ほんとにそれでいいのかなあ 最近とても考えます。

原爆を投下させた理由に アメリカ軍は

戦争を終わらせるため という理由をあげ 今でもそう受け止めている人もいるそうな

まあね それも一理あるかも お国のためなら死ねる と特攻隊など考えつく日本という国

それはそれで 相手国としては理解できなかったでしょう 

やめさせるためにはこれしかない という考えにいたったとしても 仕方ないかもしれません

そんなこと 色々色々考えました

でもでも

やっぱり 原爆はダメ     そう思います(当たり前ですが)

広島で被災した 麦の穂 何年経っても みのりはするけど 中身は空っぽだそうです

核兵器はその時に命を奪うだけでなく 未来まで奪います。

この地球は人間だけのものじゃない 動物も植物も山も川も海も 全て この地球に生かされています

核兵器はそんなものたちの そして今だけでなく 未来まで奪うのです。

そんなのダメにきまってるでしょ 

広島に原爆が投下されてから80年のこの日

犠牲になった方々のご冥福を祈りつつ 

破壊しか生まない 戦争なんていう愚かなことが2度とおこらない世界に生きる

そう望みました。

そのために残りの人生 自分にできること していきます。

一人一人の力は少しでも 集まれば 大きい力になるよね 

 

 

 

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